くるりとリターンズ
前回のばーちー南限西限を訪ねる旅の途中、気になる場所がありまして逆襲の旅に出て参りました。

仕事疲れもあって、今回は鉄の旅と決め込みました。
風強く、運休、遅延が出ていましたが、まぁ行ける所まで行きましょうかね。

千葉のイメージのひとつは大工業地帯。
蘇我から木更津まで車窓右手に延々と続く煙突の林。
我々の豊かな暮らしを支えていると思えば、この無機質な眺めもまた違う姿に見えてくる。

さて、一旦途中下車。
ここは房州木更津・・・・・・・この地名を全国区に押し上げているモノが上の絵に写り込んでいます。
ひとつめは与三郎。
元ネタは歌舞伎の「与話情浮名横櫛」・・・・・・と言われても判らない人も「お富さん」と言われると判っていただけると・・・・え、判らない? じゃ、下の動画を見ておくんなまし。
http://www.youtube.com/watch?v=AJ1Uyo2XhZE
ありゃ? 間違いではないが、ちょっち違ったか(w
オリジナルはこちらでした。汗
http://www.youtube.com/watch?v=AF-ID6PUusc
さて、もうひとつの有名なものは・・・・・

・・・・・・くるりと片手バク転しているのは「タヌキ」
ただのタヌキじゃありませんよ~。このタヌキも有名な歌になっています。
http://www.youtube.com/watch?v=JXSI5oqjU9M
あっれ~? これも間違いじゃないが、ちょっち違う!(爆)
http://www.youtube.com/watch?v=ASi1hbvGF9I
ううむ、、これも間違いじゃないが・・・(www
すごいぞ! 木更津! 2曲ともガイジンさんがカヴァーしているし・・・(爆)
おっと、寄り道が過ぎたようだ。

この列車に乗って、メインディシュを戴きに参りましょう。
(ちなみに発車チャイムは“しょっ しょっ しょ~じょ~じ・・・”です。笑)

休日の昼下がり、車内は長閑そのもの。思わず寝入ってしまいそう。
この列車、じつにまったりゆっくり走るのですよ。
ちょっと、その感じをお裾分けしましょうね。

久留里(くるり)という処です。
今でこそ君津市の一部ですが、戦国時代から栄える城下町です。

湧水の街として知られ、街中数箇所にこのような掘り抜き井戸があります。

戦国時代、真里谷武田氏の居城であったが、安房の里見氏の勢力下に入る。一時期北条氏に奪われるも里見氏は再奪還、という入れ替わりの激しい城でした。
それだけ此処が要所であった証でありましょう。
さて、その里見氏ですが、その最後は面白くも悲しいものでした。
以下、その顛末を現代風に置き換えると・・・・・
時は天正18年(1590年)、豊臣株式会社と北条株式会社による関東平野領有事業の入札(合戦)が小田原の地で行われようとしていた。
秀吉社長はイライラしていた。入札(合戦)が迫っているというのに、里見部長が一向に姿を見せないのである。
「ええい、里見はどうした? 何をしておる!」
側近が答える。
「ははっ! JR東海道線で人身事故がありまして遅れる模様でございます。」
「ようは遅刻じゃな!」 秀吉社長ブチ切れました。「懲戒発動じゃ。減俸三分の二じゃ!」
かくして下総、上総の領土を失い、安房一国に封じ込められたのです。
時は流れ、社長は交代し、徳川社長の時です。
本多専務派と大久保常務派による社内派閥抗争が始まりました。
里見部長は大久保常務の娘さんを嫁にしておりました。派閥抗争は結局、社長の覚え目出度き本多専務派の勝利に終わり、里見部長は大久保派と看做され、遠い地方の営業所に左遷(改易)されてしまいました。
ああ、戦国武将も会社人も王道を外れると哀れなものよのう・・・・・

と山深き上総の地でひとりごちたところで、久留里リターンズのお話を締めたいと思います。
しばらくのお休みの後、遠野ネタに戻ります。




























































































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