流浪の旅2 後三年
陰鬱なる曇り空の下、横手を過ぎたところで、国道13号線を離脱した。
桜もまばらな北国の一柵跡
奥州藤原家の礎を築いた藤原清衡と清原氏の最終決戦地。 金沢の柵
柵に篭城した清原氏と対峙する清衡の軍勢はこの平野のあちこちに陣地を築き兵糧攻めの戦法を執った。
当時なら此処は物見であろうか。
秋の実りの頃はさぞかし神々しい黄金の原が見られることであろう。
平野が見えない奥地に本丸跡があった。
その下には兵糧倉があった。
ここに蓄えた兵糧米が謎の焼失を遂げる事件があり、清原氏は飢餓に陥り、結局それが敗因となったと謂われている。
清原氏側の戦死者を弔い、その時に植えた杉の木だと謂う。
樹齢は1000年近かったが、第二次世界大戦時に消失したと謂う。
この後三年の合戦を機に、清原氏は滅亡し、奥州藤原氏の栄華が始まることとなった。
同時に合戦のもう一方の主役であった源義家(八幡太郎)は、その功績を朝廷から私戦と看做され、褒賞を得ることは出来なかった。配下の武士たちには私財を投じ報いたという。
それが源氏の勢力勃興、のちの鎌倉幕府成立へと繋がったと謂われている。
旅は続く・・・・















































































































































































最近のコメント